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使命感をもって、がむしゃらに働いていたころの話(自分史その1)


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今回は、このブログの主旨(旅と歴史)とは異なりますが、まあ自分自身の歴史を書くので、大きくは外れていないということで、ご容赦いただければと・・・。

 

きっかけは、夢のなかに、大学を卒業して最初に入社した会社の仲間たちが現れ、目が覚めても昔のことがあれやこれやと消えては湧いてくるので、じゃ自分史でも書いてみようと思った次第で・・・。

 

新入社員の頃の思い出には、あまり良いものがないので、入社5~6年頃を思い出してみましょう。

 

昔と違って今では即戦力が求められ、新卒も職種別で採用する企業が増えているので、当時とは状況が異なると思いますが、入社して5年を過ぎ6年目頃から中堅社員として成果をあげることが求められ、それなりのタスクを与えられるようになったと思います。

 

その頃は新卒採用(大卒事務系と高卒工場現場系)業務を担当していましたが、バブル期とも重なり、大卒採用などはまさにバブルそのものでした!

銀行や証券系は、内々定を出すといわゆる囲い込みを行い、なかには海外へ連れて行ってしまう会社も現れたほどでした。

当時、この囲い込みに対抗するため、予算の少なかった私の部署では、田舎町へ誘い込み1週間から10日ほど、学生たちと過ごしました。私一人が相手にするのだから、また田舎町なので、とにかくやることがない環境下で、いかに飽きさせないか、無い知恵を絞って考えていたのを思い出します。

 

この時の経験が、後に、人を見る目が培われたり、優秀と思われた学生が、入社後10年程度たっても必ずしも成長しないことなど、多くのことを学んだのではないかと思います。

 

具体的に、いくつか振返ってみましょう。

 

1)人を見る目

人を見る目とは、採用業務を担当していた自分にとっては、差異重要の課題でした。

採用する際のポイントは、成長性・協調性(当時はこれが最優先だった)・根気強さ・誠実さ・頭の良さ・スピード感など、求められる要素は多々ありますが、60歳定年退職(当時は、60歳以降の定年後再雇用などは制度がありませんでした)まで約40年働くことになり、転職=落ちこぼれの時代だったので、20年後・30年後の成長を予測して採用しなければならないなど、不可能への挑戦ではないか!?と捉えていたと思います。

 

ただ、回数を重ねてくると(当時の応募者の方々には失礼な話かもしれませんが)、顔の表情、文字の書き方、話し方など、数時間見れば、大体、どのようなタイプなのかを推測できるようになったので、何につけても訓練というのは重要だなぁと不思議に感じたのを覚えています。当たっていない恐れもあるものの、人物評を述べることだけはできるようにはなりました。

 

また、当時は、PCなどない時代で、ワープロなども東芝の”ルポ”全盛の時代(55歳以上じゃないと知らないでしょうねぇ)。 履歴書は手書きだったので、文字と写真を見れば、面接前におおよその人物像は想像でき、その想像していたことを確かめるため、どのような質問しようか、事前に考えていたものでした。

大卒・大学院卒の場合、ありきたりの志望動機や専門分野、また学校で何に打ち込んでいたのかを一通り聞いた後、自分の性格を長所・短所で述べてもらい、なぜそう考えるのか、事例に基づいた根拠も語ってもらうのです。

応募の学生たちは、自分を売り込みたいので、多くを語るのであるが、なかには喋りが得意ではない学生もおり、ポツンとしか言わない場合は、「もう少し具体例を」と何度も問いかけることで、情報を得たものでした。

 

誠実だったり頭のいい学生は、こうした根拠を明確に説明することができて、なるほどと思わせる事実がいくつも出てくる。逆に、自分自身をよく見せようとしか考えていない学生は、質問攻めにするとボロが出る。その当時は、自分自身に正直になればいいのになぁと、心の中で呟いていたのを覚えています。

 

(To be Continued)